母のパスポート写真 [健康 介護]
たくさんのお花に囲まれた母・・・
病院の看護婦さんが母にしてくれたお化粧が素晴らしく 、参列された方が驚いてました。今度入院費用を持っていくとき、何か差し入れをしなくてはなりませんね!
中には「こんなにステキにしてくれんだったら、私の時もここでやってほしい」とおっしゃる方もいました。葬儀屋さんが化粧したと勘違いしたみたいです。
母のコースには「おくりびとは」つきませんでした。オプションで頼めたと思います。しかし、どんだけ費用が・・・
今は斎壇の遺影は液晶テレビなんですね~。
驚きですね・・・
背景の画像が変わるんですよ。
こちらの画像は上の画面と、花が違うでしょう?
すこし微笑んでいる母です。
ちょっと整形ならぬ、トリミングをしてもらい、10歳は若返ったように見えます。
あちらで待っている父が惚れなおしそうだ~ ね?
看護婦さんと葬儀屋(写真屋さん)に感謝です。
あれから一週間経ちました。何故か長く感じます。
私の体調を心配していただき、誠にありがとうございます。
一時は体重が75kgを切りそうになりました。精神的ストレスは胃を直撃する事を実感しました。
しかし、復活はいつものように早く、というか通夜の席でしこたま寿司を食い、ビールを飲んだ為、逆に体重が79kgを越えてしまったのです。
昨日からキャベツ中心の食生活に戻し、今朝は77,7kgと縁起のいい体重でした。
「今はまだ気が張っているけど、49日を過ぎるとガックリきて体調を崩しやすいから、注意してくださいね!」などと、近所の方が言葉をかけてくれました。
ありがたいものですね・・・
いよいよ暑くなってきましたね。湿気もすごいです。
夜中は電力余っているのですから、節電もほどほどにして、エアコンかけてしっかり良い睡眠をとる事をお勧めします。
睡眠不足は良くないですからね。
では、おやすみなさい。
・・・? あれ
ずいぶん早寝ですね? 投稿時間が15時になってます。こんな時間にお休みしません。寝たのはPM10時過ぎでした。
この時間は記事を書いて、最初に保存した時間のようです。UPする時今の時間にしないと、こうなっっちゃうのですね。今日気付きました。
母を支えたモノ・・・ [健康 介護]
小雨混じりの母の告別式も無事終わりました。
心配した納骨の時の雨も、傘をさすほどの雨ではありませんでした。
参列された方も滑りやすい石の上で、転ぶこともなく本当に良かったです。
母の葬儀のお手伝いをしてくれた地域の方や、遠方から来ていただいた方が雨に濡れたり、ケガをしたら誠に申し訳ないですから。
さて、前回の記事の謎のBOXです。
この中に
断熱材を入れるのですが・・・
断熱材をBOXの内側の大きさに切り、それをアルミ箔でカバーしました。
断熱材のままでも機能的には良いのですが、一応、儀礼的に綺麗に見えないと。
BOXの中に静かにそっと・・・
アルミがすぐ破れちゃうので、そっと優しく入れていきました。
アルミ箔の上には軽い素材の石と、ペンチを入れました。
ペンチは切る為の物ではなく、つかむための道具です。
断熱とつかむ・・・ ヒントですよ~
いつ何をつかむか、わかりましたか・・・?
・・・・揺れています。けっこう大きいかな~。遠いとこで地震が起きたかも?
・・・福島で震度4とラジオが伝えています。
09年に母は転倒し、右大腿部中央を骨折しました・・・
もうわかったでしょうね。でも、難しいかも!
離れ離れになった右大腿骨を繋ぐため、ブツは大腿骨の中に入っていたのです。
高温で出て来るブツを入れて、持ち帰るための断熱仕様のBOXでした。
正解しましたか・・・?
09年にX線に写ったそのブツを見たとき思いました「お壷に入るだろうか?」
先ずは、母が手術を受けた病院に行き、ブツの長さを担当の医師に聞き、30cm以上40cm以下のチタン製の棒とわかりました。
次に、骨壷の高さを聞きに火葬場に行きました。しかし、事務所の方は「壷は葬儀屋さんで用意するものでここにはありません。でも以前同じような事があり、焼けた棒は熱くて持って帰れないので、翌日取りに来たことがありましたね~。」そうおっしゃっていました。
そんなわけで、40cmの棒を入れるケースを買ったのは、昨年の初めでした。中の物は母が亡くなってから用意し作りました。
無事入るだろうかと心配でしたが、チタン製のブツは1000度前後の高熱のおかげで、ちょっと縮んで曲がっていました。
ピッカピッカで出てくるかと期待したのですが、そんなわけないですよね・・・
ともあれ無事BOXに収まり、私のもとにあり母の形見とします。
ブツがどんなんか見たいですか? まぁ~、見たくないですよ。
プロジェクト「FUKUSHIMA !」 [健康 介護]
私、震災以降ラジオ派になってしまいました。
TV以上に情報量が多い気がします。
先日はNHKラジオで元気が出てくる、そんな番組を聞きました。
大友良英 さんという音楽家へのインタビューでした。
プロジェクトFukusima の中の、大友さんの文を拝借しました。
「これまで日本の外では知られる事すらなかった福島という地名は、今や原子力発電所の事故をおこしたFUKUSHIMAという不名誉な響きとともに世界に知られる名前になってしまいました。
専門の技術者ですら解決の糸口を見いだせない原子力発電所の問題を、わたしたち市井の人間、ましてや音楽家や詩人が解決できるわけもありません。しかし、今回の問題は、単に放射能の流出とそれにともなう様々な問題だけではなく、今後の原子力発電所を含む電力をどうしていくのか、ひいては電力に支えられて来たわたしたちの生き方をどうしていくのかという大きな問いをわたしたちに投げかけてきます。」
全文はこちら↓をクリックして、読んでみて下さい。
この記事を前回UPしようと思っていたのですが、母が急だったため変更になりました。
病院から連絡があったのが一昨日の今頃だったでしょうか?何かあれから随分時が流れたような気がします。
母は今約7年ぶりに実家である兄の家の、畳の上に休んでいます。明日もう一晩したら住み慣れた家ともお別れ、そして明後日土曜日にその姿は天に召される事となります。
お坊さんの都合で告別式が土曜日になりました。涼しくてよかったです。
朝夕母に会いに行っています、蒸しタオルで顔を拭いたり、背中を撫でたりはさすがにできませんが、いつものように母に声掛けしています。
兄夫婦や二人の孫、そして私のために、少し長い時間が与えられた気がします。
今日は母の天国へのパスポート用の写真(遺影)が届けられました。
それは可愛いんです。
たくさんのコメントをありがとうございます。自分のブログのコメントを見ているときが、一番うるうるしてしまいます。悲しくてではありませんよ、皆様のお気持ちが嬉しくて、もったいないからです。
以前記事にした「Yell ! エール」のように、私も皆様のコメントでとても癒され、励まされています。
ありがとうございます。
今は土曜日の午後の納骨の時、雨が降っていない事を祈るばかりです。
今花盛りの、紫陽花となつつばき(シャラ)そして、母が好きだった葵が母を送る花となりました。
まぁ、他にもたくさん咲いてますが(-_-;) 2月の紅梅でなく良かったです。
母のためにあるものを作りました。
このBOXに一工夫しました。
何かわかったら・・・・ すごい想像力です。
ありがとう、ば~ちゃん 母が旅立ちました。 [健康 介護]
先ほど病院から帰りました。
母が急変したとの電話があり病院に着くと、母のほっぺたは冷たくなっていました。
もう昨日になってしまいましたね。
母(silk)は6月13日夜、大好きだった父の元へ旅立ちました。
夕方、呼吸の仕方が変だな~と思ってはいたのですが・・・
急と言えば急だったので、まさか今日とは・・・
そんなんで・・・
「ば~ちゃん、あなたの子に生まれてよかった。ありがとう。」そう伝える前に、母は逝ってしまったです。
ありがとう、キヌさん。
あなたの子に生まれて、本当に良かった。
あなたは私を本当に愛してくれた。
今まで母と私を応援していただき、本当にありがとうございま。
感 謝
二つの子守唄・・・ねんねこや~♪ [健康 介護]
ボイスレコーダーから流れるこの曲を聞きながら、母の顔や手足のマッサージをします。
「気持ちいいかい?」 「あ~」
あ~しか言えなくなったのか~。と先週は思ったのですが、最近は「あ~と言ったぁ」と思うように変化してきました。
あ~と言おうが言うまいが、私にとっては今一番大切な時間です。
今朝の母はおめめパッチリ、体温も平熱でとても落ち着いた様子でした。
顔と手を保湿クリームでマッサージした後、母の後頭部に左手を置きソフトにソフトに後頭骨を緩めてあげます。
右手は髪をゆっくり撫でたり、軽く頭皮をマッサージしていると、母がなんとも言えない表情をしました。
頭に触れられるって気持ちいいんですよ。
母の朝の様子が良かったので、夕方は休むことにしました。
母の命の蝋燭も、子ネズミの誕生日の蝋燭のようにちっちゃくなってきました。今ある反応もだんだん無くなっていく事でしょう。
今まで「頑張ろうなば~ちゃん!」。
そう言ってきましたが、もう「頑張って!」とはいえません。
でも「ちょっとだけ、頑張ろうか!」なんて言ってますが。
母の事になるとこんな感じで、ちょっと気分が落ちる記事になるかもしれませんが、介護のブログですので、最後はそうなっちゃう事をご了承ください。
日が昇れば、沈むもの・・・
旅はいつか終わるもの・・・
ものを食べれば、出さなきゃつまっちゃいます・・・ これは違うか?
病院のスタッフさんが明るく元気なのが何よりです。
緑の背景に黄色の花はとても気持ちが和むものですね。
雨の日はしょうがないか~! [健康 介護]
よく降りますね・・・ 梅雨ですから~ しょうがないですね~
この方も、そう歌っています。
病院へ行く支度を終わり外に出たら、ドシャ、ビシャの土砂降り~
う~ん、止めとくか~。 ということで母のとこに行くのは止めました。
朝は毎日行きますが、夕方は木曜日と日・月曜日のどちらかを、その日の体調と気分次第ですが、病院に行かず休む事にしています。
半年切らなかった髪を短くしたからではないでしょうが、母は翌日の水曜日から熱が出ています。36,8度~37,4度の微熱ですが、状態が良いときの体温が35,5度~35,8に下がった母にとっては、結構な発熱になるのでしょうね。
母は木曜日からほとんど私の問いかけに答えられません。1回だけ「アッ」と言っただけのような気がします。
母も随分弱ったので、しょうがないですね。
まだ、私の甘い指をしゃぶるので、大丈夫でしょうが・・・
母の一つひとつの表現がとても大切な物になってきました。
今までやるだけやってきたので、いつものセリフですが「後はお任せです。 」
上のお二人は若い頃から若く見えませんでしたね。
ずっと年をとらないというか・・・
かまやつさんの演奏は70歳を過ぎてのものと、コメントに書いてありますね。歌も演奏もいいですね。
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気分転換用画像です
母が入院して3週間が過ぎました。その間これだけ筑波山が綺麗に見えたのは初めてです。ここは病院まで、2後10分弱の地点です。
森の右手の赤い鉄塔の方向に病院があります。
到着です。右手の森の中に病院があります。
明日は早く行こうか・・・
和みと憂鬱・・・? [健康 介護]
いつより早く母の病院に向かった。
いつも病院の手前で車を止め、ちょっと一服します。
ちょうど小学生の登校時間でした。
ここに車を止めて休みます。ここから上の写真を撮りました。
手前はもとは田んぼだったのでしょうが、今は葦が一杯です。
葦と言えばヨシキリですね。にぎやかな鳴き声が聞こえてきます。蛙の声や鶯の声も聞こえ、40分の運転の疲れがとれます。
ヨシキリです。
コンデジではこれが精一杯です。15メートルほどの距離です。
子供達の笑い声や、スキップする姿を見ていると気持ちが和みます。
年取ったのでしょうかね。と言うか年だ~・・・・
「おはよう!」と言うと「おはようございます」と挨拶してくれました。
みんなどんな人生をおくるのかな~? なんて思ったりします。
子供達の通学時間は7:45分頃です。家を7時に出ればちょうどその時間に着きます。頑張って同じ時間に着けるようにしようかな。
でも、道の脇に「チカンに注意!」なんて看板があった~
「どこぞの知らぬオヤジがじろじろ小学生を見てる・・・?」なんて思われないか心配だ~。
今日はとってもいい天気でした。休日だったので母の世話をした後病院のすぐそばにある天満宮に行ってみました。
2番目の写真の森の中天満宮はあります。
意外と広い敷地で立派な神社でした。
老健のそばにも天満宮と寺がありました。何故か神仏と縁があるんですね。
パン、パンと手を合わせ祈りました。
1、母が安らかな日々をすごせますように。
2、母の転倒事故の件が和解できますように。
明日は和解調停の最終日です。
裁判所の隣にもお稲荷さんがあって、行くたびににお祈りしたのですが・・・・
和解できそうもありません。それも必要だからでしょうね。
庭の花を母のベッドサイドに飾りました。もみじの葉の間に母の首が見えます。
母の転倒事故に関して、施設は母にも過失があると思っているよです。
やりたくなかった裁判ですが、こうなったら母にどんな過失があると主張するのか知りたくなってきました。
父が言ってました。「人間いろんな事を経験した方が良いと!」
確かに経験して本当にわかるものがあると、今回の震災で思いました。
うんでもな~、じっちゃん!
裁判か~ 経験したくなったど~
うんだから、護ってね!
爽やかな朝と、母の平穏な日々・・・ [健康 介護]
昨日日曜日はとても爽やかな朝でした。朝日を浴びた緑一杯の庭です。
木々の葉が朝日を反射して、それは綺麗でした。
前記事では母の余命の事を書きました。正直わかってはいても、ちょっと気持ちが落ちました。コメント書きにくかったと思います。どうもありがとうございます。
庭に咲いた花の続きです。
16芝桜
17すみれ
18 山もみじ (えっ、もみじも花咲くんですか?と言った患者さんがいました。目だたないのであたりまえですが、花が咲くからあのヘリコプターのような種ができるんですよね)
いろんなツツジです。名前は知りません。
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おまけ・・・ なんて蝶なんでしょうか?
も一つおまけで母の顔・・・?
左のシルエットは母です。顔にあったかタオルがのっています。とんがった部分が鼻です。ちょっと変な画像になってます。
病室から見える外の景色も爽やかでした。穏かな日々に感謝です。
ただ日当たりが良く室温が高く感じるので、あまり日があたらない部屋(個室)に移れるか相談しました。
母がここに移って1週間経ちました。スタッフさんの雰囲気も良く、毎日病院に行くのが楽しくなってきました。
私も道に慣れてきてあまり遠く感じなくなってきました。ただ、身体は慣れてくれず今日は腰から背中がパンパンに張った感じがあるので、夕方の病院訪問はやめにしました。
余命告知をされました。 [健康 介護]
花の名前わかりますか? 答えは最後に・・・
母が昨年低血糖で入院した時のいろいろ検査をしました。その結果右の腎臓に腫瘍が見つかりました。高齢でもあるし特に症状も無かったし、化学療法なんかしたらそれで逝ってしまうし、そんなわけで様子を見ると言う事で決着したのでした。
腎臓は二つあるので右がダメでも、左が頑張ったのでしょうね。
どうも老健の先生がこの事に関してあまり説明してなかったらしく、今の病院でも腹部CTを撮りそれを見た主治医が、話しがありますということで木曜日に説明を聞きました。
先生は何度も「なんとも言えないのですが」と言いながら、腫瘍はかなり大きく、この状態だと早くて3ヶ月、良くて半年ほど・・・ ということでした。
「普通こんだけ大きかったらなんらかの症状なりが出るのですが、今のところ貧血が少しある程度です???」と、ちょっと不思議がっていました。
私にはその理由はわかるのですが。
また、このとき胃ろうをするかどうかについて話したのですが、しばらくは様子を見るということになりました。
2月に誤飲性肺炎で入院し、「多分もうダメ・・・?」と思ったのですが、奇跡の退院をした母です。
まだまだ先はわかりません。
バカ息子の願いは、安らかな日々をおくってほしい・・・それだけです。
そう、写真の花は・・・・・・?
春菊で~~~~す。
おひたしにして味噌マヨであえて食べると、メッチャうまです。
あ~~~あ~~~ 春菊は摘んでもまた、そこから新芽が出てくるんです。
お財布の諭吉さんも、春菊のように出てこんかいな~
そだ、春菊を乾燥させてお財布にいれてみよう・・・
万年金欠症候群です(>_<)
母のいる病院と原発問題! [健康 介護]
この緑一杯の風景を9日の月曜日から、毎朝と夕方に見てきました。9日に母は老健から病院に移ったのでした。
母が今いる病院は右手の電柱をたどった先の森の中にあります。右手の車は私の介護仕様のMOVEです。
病院のPに着くと鶯の声が聞こえてきます。今朝は「♪チョットコイ、チョットコイ ♪」とコジュッケイの声が聞こえてきました。
画像ではわかりませんがこの辺は高低差のある土地が多いところで、真ん中のビニールハウスのあたりはかなり低くなっています。
野菜栽培が盛んな地域です。ハウスの中はどんな野菜が育っているのでしょうかね?
病院周辺は林や野菜畑がたくさんあります。ミニバイクか電動アシスト自転車でこの辺を回ってみたいです。
月曜日に母が老健から病院に移って4日が過ぎました。いろいろ検査を受けているようですが、母はそれほど疲れた様子も無いようでした。
私は病院までの最短で、楽なルートを探しました。まぁ、2つのルートしかないのですが・・・
結局落ち着いたのが、片道21kmで時間は35~40分はかかるというルートです。
老健までは片道13kmで20分前後でした。距離はともかく15分~20分余計に運転すると、けっこう疲れるなと感じてます。
道に慣れればそれほど遠く感じなくなるでしょうが・・・
とは言え今日は疲れを感じ、ばてそうなので夕方は行きませんでした。天気の悪さも影響しているのでしょうね。
今夜は寒いのでストーブを点けています。そんでもって、明日は25度以上の夏日になるとか?
すっきり爽やかな5月のお天気は、どこに行ってしまったのでしょうね?
今日の東京新聞に気になる記事がありましたので紹介します。
1 東電また“情報操作” 「電力不足キャンペーン」にモノ申す (全文は見られませんが)
皆さんの読んでいる新聞には同じような記事がありましたか?
1の記事には東電の情報隠しの事が載っています。(次回デジカメで記事を撮って載せます。)
東電も政府も今までは安全と言って原発を推進してきました。そして今度は「この夏電力不足になる、やはり原発は必要・・・」みたいな方向へもって行こうという感じがあるように思います。
今回の原発事故で懲りず、原発を進めていく政策を取れば、いずれ日本は終わるんじゃないかと、思ったりしています。使用済み核燃料をどうする気なのだろうか?
そんな日本国を今の子供達、未来の命に残したくないなと私は思っています。