母のいない、母の誕生日 [母の想い出]
1年前の3月3日のブログに載せた画像です。
昨年の2月4日に施設で吐いて、誤飲性肺炎になり緊急入院した母。
「今回はかなりキビイシイかな・・・?」と思いながらも、先の事はわかりません。先ずは自分のイメージを心の中に持ちました。
1 酸素マスクが外れること。
2 点滴でなく口から栄養を摂ること。
3 90歳の誕生日を迎えること。
4 できることなら、施設に再び戻ること。
イメージができたら、毎日コツコツできることをするだけです。
でも、ときどき心細くなったり、「いくらなんでも、もう無理だろうに・・・」そんな気持ちが膨らんだ時は、神社やお寺に行って、神仏にお願いをしたりしました。
不思議と気持ちが休まったものです。
そして2011年3月3日に、母と90歳の誕生日を祝うことができたのでした。
2の口からの栄養摂取は残念ながら叶わず、鼻からの栄養剤で命をつなぐことになり、母の大好きなイチゴショートケーキはダメとのことで、イチゴと同じ赤い色のバラの花を母に贈ったのでした。
これは今朝撮ったものです。
3日の土曜日に墓参りに行き、庭の梅の枝を何本か供えてきました。
ここのところ、いろいろ思い出したりして、ちょっとしんみりの雰囲気です。
・・・・
月の初めの3月1日には、今年になって一番嬉しいことがありました。
かなり以前からコメントを頂いた方で、母の事で気が沈んでいるときなど、とても元気をくださった方が、肩こりがひどいということで治療に来てくれたのでした。
・・・
なんか訳のわからない記事になってしまいましたが、元気出して明日から頑張ろう・・・という気持ちになっています。
豆まきとタマゴボーロ・・・? [母の想い出]
床に転がっている、タマゴボーロがありました。
昨年の2月4日に、母がいた施設で夕食の後、撮ったものです。
施設では豆まきのこの日、大豆の代わりに、タマゴボーロが配られました。
何故、タマゴボーロなのか、おわかりですよね。
ボワ~と写っているのは母です。この後、吐いてしまい誤飲性肺炎で酸素濃度が低下し、入院したのでした。
そして、母と私の「あきらめず、がんばり、生きる日々」が始まったのでした。
昨年のこの時期、私の庭の紅梅は満開だったのですね。
私にしか見られないのでは、紅梅が可愛そうかと思い、紅梅を施設に持っていったら「綺麗な梅の花ですね。ありがとうございます。」と、ナースさんが言ってくれました。
もう、アレから1年過ぎたのですね。
今年の紅梅は、満開にはまだまだのようです。
今日の鳥さんは、暴れん坊のヒヨドリです。
もう、こいつったら、畑の野菜を食っちまって!
目が、そう言うなよって、言ってる気がします。生きるためだもんな~
母とのリハビリ・・・ (4 そんなもん使うかい?) [母の想い出]
2004年8月7日に入院した母は、10月8日(金)に退院して私の家に来ました。
退院の数日前からは、病室の中でのリハビリが中心でした。
病室の端から端までは4mほどでしょうか。そこをポータブルトイレの、パイプ椅子を押してのリハビリでした。
握るハンドルの形が、シルバーカーとそっくりです。またポータブルトイレの足の部分がゴム製で、滑りすぎず引っかかりすぎず、前進歩行の練習にぴったりだったのです。
4階に居た母が病室から、1階玄関まで歩いていくことは無理でしたが、なんとか玄関ホールの内側のドアーから、外のドアーまでの数メートルだけでも、歩かせてあげたかったのです。
母の退院にあたって、やらなければならないことがもう2つありました。
一つは私の家への受け入れ準備。 2つ目は「退院していいですよ。」という医師の許可でした。
入院中介護保険の申請をし、介護度3と認定されました。当座は介護ベッドに車椅子とトイレ内の、便器の所に設置する手すりをレンタルしました。
こちらは準備OKです。
退院許可に関しては、母の血糖の数値がネックとなっていました。
低血糖発作を起こした母ですが、その後は高血糖になり錠剤では下がらず、インシュリンを使っていたのでした。
そのへんはまた後ほど、、、、
今回のCGは難しかったです。目が疲れました。
今この花が満開です。
母の介護が終わった日 [母の想い出]
昨日29日は大安でした。
大安といえば・・・ 何を思い浮かべますか?
まさか、、、、私の結婚式とかぁ~? なんて思った人はOでしょうが ^_^;
大安といえば、これでしょうね。
お手伝いの為、朝から兄の家へ。 おぅ~、もう始まってるか?
空が青かった~
もう何かおわかりでしょうね!
青空のもと兄宅の棟上が、無事終了しました。
利根川堤防の拡張工事のため、移転しなければならなくなったのです。
ちょっと暑かったですが、雨も降らず風も無く、職人さんも怪我する事無く、良かったよかった。
きっと天のジジババが、見守ってくれたのでしょう。
2年前の今日9月30日、母は施設で転倒し大腿骨を骨折しました。
夕方6時頃救急車で病院に運ばれました。その後二度と私の家には帰ることはありませんでした。それと、再び歩く事ができない体になったのでした。
5年間転倒しないようにと、自宅介護を頑張った私の、工夫や努力が終わった日です。
・・・
きっと、起きるべくしておきた事故なんでしょうね。施設にとっても、私にとっても。
26日(月)の朝日です。
もし事故が無くて、あのままひとり介護が続いていたら、どんなその後があったのだろうか?
なんて、こと 考えてもしょうがないですね。
今朝は母が夢に出てきました。布団の中でムニャムニャなんか言っていました。寝ぼけていたのでしょうね。
過去に起きた事実は変わらないですが、それをどう思うかは変わるものですね。私の1年前の今日の記事からは、怒りの炎がメラメラしてます。
怒るパワーも無くなったかな~。
明日から10月です。 楽しい事がたくさんあるといいですね。
母とのリハビリ・・・(3 長椅子登場) [母の想い出]
先週の今頃はまだ、日中30度はあり、暑かったと記憶してるのですが。台風が去って季節がド~ンと進んだみたいに寒くなりました。
体調を崩しやすいです。充分な睡眠をとって脳=自律神経を休めましょうね。深夜までネットは、後で体に出ますからご注意を!
では母とのリハビリの続きです。
病院などの待合室で良く見かける長椅子です。これを使って前に歩く練習をしました。
車椅子やシルバーカーを押す事もできたのですが、母は重心が前方へ行ってしまうので、つんのめってしまうのが心配でした。
◆「つんのめる」=前にずんずんと進んでしまい、倒れるという意味です。
車椅子やシルバーカーのブレーキを即座にかけられるほど、手の動きも運動神経も回復してませんでした。
“ 両手で摑まって歩けるものは、ないかいな~、考えよ!”
ふと待合室の長椅子を見て「これならいけそだ!」と、ひらめいたのでした。
こんな感じで、歩く練習しました~
これなら左右に倒れる心配もないです。腰を支えて「おいっちに、おいっちに」と歩行練習をしたのでした。長椅子の端に車椅子を置き、疲れたら座って休みます。
練習を始める前と後には、必ずセルフケアーと足のマッサージをして、疲れが残らないようにしました。
運動して鍛えるということは、体に負荷をかけるという事です。
運動による疲れが残らない、健康なからだの人は問題ないですが、そうでない人にとって、運動もほどほどにしないとかえって体は疲労して、結果的に老化が早まるんですね。
次回は(母とのリハビリ・病院編)の最終回です。
これを使いました。
母とのリハビリ・・・2004年9月-(2) [母の想い出]
只今台風が秩父付近を通過中との事 。外はゴーゴー、ヒュウーヒュウーと風が鳴ってます。
2階屋根の上のTVアンテナが倒れないか心配です。こんな時一人は、心細いものですね。情け無い話ですが・・・(-_-;)
さて、母とのリハビリの続きです。写真では自宅にいますが、病室にいると想像してください。
| 椅子から立ち上がり、立った姿勢を保持し、長い時間立っていられる練習をしました。 その後は、歩く練習です。 手すりに摑まり左右に歩きます。私は腰を支え倒れないようにフォローします。 「おいっちに~、おいっちに~!」と声を出して母と一緒に左右に歩きます。 これも、休み休みです。 |
たくさん褒めました。
筋肉が働く為には何が大切でしょうか? それは、脳から筋肉に充分な、電気信号が伝わるということです。それに、脳自体も元気でなければなりませんね! ← 膝を軽く叩いて脳を活性化する運動をしている母です。 右手のひらで足を軽く叩きます。次に左の手のひらで、左足を叩きます。これを交互に1分ほど行います。 叩く場所はどこでもかまいません。手のひらが交互に体に触れるということが重要です。 |
「1分間あることをすると筋力が出る」のあることです。極性テクニックといいます。
| 「筋力がUPするんです」で使った画像です。 これは腹筋運動をしているのではなく、極性テクニックをして脳が活性化したため、筋力が出るようになったことを、患者さんに確認してもらうために行ったデモンストレーションです。 足が上がらない状態を確認してもらった後、患者さんにお腹を両手のひらで、交互に軽く叩いてもらいました。 そして1分後、腹に力が入り、グッと足が上がるようになったのです。 |
※ ちなみに前回この患者さんが来られたときは、足はすっと上がり、頭も小さく柔らかい、脇腹のたるみもほとんどなく、深く息が吸えるという状態でした。
体中の神経伝達が良く、血流・リンパなどの流れも良いという体です。
さて立っている体力がついたら、横横歩行ばかりでなく前に歩くリハビリです。
病室を出て広い待合室に行きます。
使ったものはコレです ↓ ・・・
病院の待合室にはたくさんありますね。長椅子が2脚必要です。
テレビからは各地の台風被害が放送されています。これから東北の被災地が暴雨風雨圏に入ります。
台風の勢力がちっちゃくなって、F1マシンのようにスピードを上げて、太平洋に去ってくれるのを祈るばかりです。
本年の地震、台風、大雨、竜巻などなどの自然災害は、もうおしまい・・・
打ち止め・・・ お願いしますぅ~!
母とのリハビリ・・・2004年9月-1 [母の想い出]
もうすぐあの日がやってくるな~ 2009年9月30日。
そのずっと前の2004年の今頃は、母が入院していた病院で、毎日母と一緒にリハビリに励んでいました。
8月7日から3日間、血糖値50前後で放置された母の筋肉は、驚くほど少なくなってしまったのでした。
「また歩けるようになんだ!」8月10日の朝、意識が戻った母が言いました。
2009年の大腿骨の手術の後は、私が誰か分からなくなった母ですが、この時は脳の精神の分野の機能はあまり落ちなかったです。84才での手術と88歳では、体に与える影響は随分違うものですね。
さて、リハビリですが、リハビリ施設はあったのですが、病院はまったく母のリハビリをする気がなかったので、私が担当する事にしました。
とはいえリハビリに関して、私は素人で知識もあんまり無いし、そのための道具もありません。
歩いて病院を出たいという母の希望を叶えるために、先ずしなければならないのは・・・
なにかと言うと、、、、 立つことです。 そして、立った状態を維持できるということ。
そのために使ったものは、母が体を横たえていたベッドでした。
あの頃はPCもデジカメも持ってなかったので、何の画像も無いのでその後のものでお伝えします。 ←これは2009年2月、自宅で立ったり座ったりの運動をする母です。 病院にいたときも、このような運動をして、先ずは立っていられる体力をつけるリハビリをしました。 病院では椅子ではなく、母の後ろには車椅子がありました。 |
歩く為には先ず立ってその姿勢を、維持できなければなりませんね。
運動前、運動後も神経伝達、血流を良くする治療をしました。運動をすると体は疲労します。疲労が残ってしまっては、何のための運動かわかりません。
明日は敬老の日なので、ちょっと母の事を書いて見ました。この後どんなリハビリをしたかはまた書きますね。
これはポータブルトイレです。
最後に使ったリハビリ用具です。
どうやって使ったか、解りますか?
母も父もいない敬老の日。夢の中でもいいから、じっちゃんの肩を叩いたり、母の背中をナデナデしたいな~。
母が旅立った日の夕日・・・ [母の想い出]
6月13日の夕方6時前に、母の病室から撮りました。この2,3時間後に母は旅立ちました。
窓から差し込む日の光が反射してとても綺麗でした。
今まで母のいた施設・病院の帰りに撮った夕日を、たくさんUPしてきましたが病院の廊下にうつる日の光が、最後の夕日の写真となりました。
この時、他の病室からはナースIさんが患者さんに、問いかけしている声が聞こえていました。患者さんに優しく、あったかく話しかけている声が、今でも耳の奥に残っています。
この病院のナースさんは明るくて笑顔で、また元気一杯の方も居たりして、とても雰囲気が良かったのでした。これって、家族にはとても大切な事なんです。
もう明日で2ヶ月になるんですね~
母はこの森の中にある病院で、ちょうど5週間過しました。
老健の医師にこの病院を紹介された時、「何かいい事がありそう。そう感じた。」と記事に書きましたが、何かいい事とは、、、何だったのだろう?
それは・・・ 母も私も安らかな時間を過ごす事ができた。
今そう思っています。
明日からお盆ですね。
お盆前にきっちり終わりたい事が、やっと昨日終了しました。それを今日銀行で確認してきたのでした。
何が終わったか・・・・? クイズにはしませんよ!
母の転倒事故に対する損害賠償の件です。施設とは、い・ち・お・う・・・和解したのですが・・・
6月末に弁護士さんの口座に振り込まれた賠償金が、やっとこさ私の口座に入金されたのでした。長かったです。
・・・・・やっと終わりました。
昨日11日の午後1:30分の気温です。39度を越えました。
玄関外で観測を始めて以来、最も高い気温を計測したのではないかと思います。
猛暑日も「終わり」にしてもらいたいものですね。