悲しい酒 母の夢が一つ消えました [入院]
母の精神の状態(主に記憶)確認するため、毎日母に幾つかの同じ質問をする。
「ば~ちゃん、随分良くなったな!また歩けるようになるかな?」と聞くと。
「頑張って~ 良くなって~ また歩くんだ!」と毎回母が答える。
夕方、私の質問に対する整形外科部長の返答です。
「今後、お母さんは立つことはできないでしょう。」
そうだろうな とは思っていたけど けっこう現実を知らされるのは キツイ・・・・悲しい Very sad
今夜は ひとり 悲しい酒です
やるべき事をやる立場の人は、きちんと仕事してね~
ババも私もTaxや介護保険料を払っているんだよ~
DO What You must do.
明日も きっと 良い日に なるだろう
なんて 自分で自分を励ましている nemasu !
近日、以前母が歩いていた動画をアップロードします。
ここまで書いて 昨日は寝ました。起きていると内なるネガティヴ エネルギーが ふぁいや~しそうだったから
で~ 今朝も 新聞屋さんより 起きたのが早かった
そのときの気分で 道産子娘のブログを見た あのX-Pの主の 超OPENなブログです
ありゃ しっかり立ってんじゃん 北の大地を踏みしめているではないか よかった
投げてるじゃない ばばと同じように オーバースローで
癒されて イマス 貴女達に ネガがポヂになりました
T.Y (マニラではありが党をこう言ったりします)
癒裸しの アラフィフ より
母とお手玉遊び! ハワイを思い出した。 [入院]
朝食後、母が作ったお手玉を使ってキャッチボールをした。今回で2度目になる。
右手で抛ると50~60cmだったのが、今朝はベッドの端までとどいた。左右の腕でキャッチボールをしているうち、母が疲れてきたように見えた。
で、ハワイを思い出した。 な、なんで~??
199?年、あるグループと共に、ワイキキにある保健センターのような所に、HIV・AIDSの勉強に行った。
この頃は、日本のマスコミもHIV・AIDSのことをたくさん報道していた。研修中には日本のTV放送でも紹介されていた方にも会った。(ビデオに録画してあるので、そのうち見てみたい。もう今は千の風になっているかもしれない。涙ボロボロになっている自分が見えるようだ。)
研修中、あることを教えられた。PWAの方と接するときのことです。
How are you doing? と挨拶して、 相手の手に触れる、握るとき自分の手のひらを上にして、そっとさしだし、相手の反応を待つということです。
絶対、自分から相手の手を握ったりはしないそうです。
手のひらのピンクサファイアが、あなたの気持ち そっと差し出します
たとえ自分を思ってくれていると理解していても、 ピンクサファイア を受け取りたくないときもあるのです。
この石をいろんな物、事に置き換えると 日々の中で 相手のためにとって何が大切か 何ができるか考え 行動する時 とても役にたちます。
私の気持ち受け取ってと 相手の手を引っ張り、手のひらに置く。
ときには握っている指をこじ開けてしまう、なんてこと 私もよくやってしまいます 。
写真は本の表紙から勝手に使わせていただきました。
手でふれて心でふれて エイズと共に歩く
著者名:バキーノ林子/著
- 出版社名
- :カタツムリ社
- 発行年月
- :1995年5月
- ページ数/版型
- :91ページ/21cm
- ISBNコード
- :978-4-906539-34-5(4-906539-34-3)
数時間で読めます。よろしかったらどうぞ読んでみてください。
PS ここまでは24日(火)に書いた下書きです。
今朝の母は、壁に背をつけ立っている私の手のひらめがけて、 お手玉をオーバースローで何球も投げました。なかなかのコントロールです。
来月半ばくらいまでには、老健に移れるといいなと願っています。
川を越えるのに疲れました。
見えてきました 母の今後 [入院]
昨日、SMCの相談員さんから、申し込んでいた2つの老健が条件をクリアーできれば、母を受け入れてくれると知らされました。
1つは糖尿病が錠剤によって管理がされているかということ。
2つ目は、骨折部位の状態の問題です。立って体重がそこにかかったとき大丈夫かということです。
手術してちょうど4週間経ちました。病院スタッフさんのおかげで順調に回復しているので、いずれ2つの件はクリアーできるでしょう。
ものごとが動き始めました、良い方向に 感謝
現在私のHPにアクセスできなくなっています。ドメインの更新が必要のようです。
ブログも以前のようにUPできなくなると思います。優先順位の上位に別の事が上がってきました。
行楽の秋ですね 私は庭の木々や車内からの景色で楽しみたいと思います
この頃 毎日が楽しいです
Life is Full Of Wonder. という感じです。
この感覚は、1984年のクリスマスの頃、ネパールのポカラに居たとき初めて感じたものです。その後、二度目のインド入国。
お釈迦様が悟りを開いた地ブッダガヤ、インド4大聖地の一つでガンジス川で沐浴をする風景がTVでときどき放送されるベナレス。そこから数キロの所にあるサルナート。その他いろんな所を回りました。
今日は何が起き、何を学べるのだろうかと ワクワクしていました。(今思えばバシャール状態だったようです。)
サルナートは確か5人のMonkに文句を言った、いや 初めてお釈迦様が法を説いた地だと思います。奈良の公園はここをモデルに作られたと聞いていますが。違うかもしれません。(爆 取れましたかな?)
2度目は、13年前職業を変えこの道を選んだ時です。(長くなるので説明はナシ)
そして、今回。つくずく すべてはつながっているんだな~
Uniだな~ と感じています。 感謝!
私 サミシイ~ノ 理由は Lack of communication です ハイ! [入院]
英語のお勉強の時間です。ピン ポン パン ポ~ン
Lack of~ ~が無い、少ないという意味です。
communication(コミュニケーション)が無い、少ないという意味になります。
施設の最高責任者の方、これからは卑弥呼さまと呼ばせていただきます。卑弥呼さまは病院に数回、先日はお忙しい中自宅まで訪ねてくれました。
副責任者の方、これからはインディージョーンズさん、短縮してIJさんと呼ばせていただきます。IJさんとはさらにたくさんcommunicateしています。ご家族みんな新型FLUに罹ったようです。お大事にしてください。
でー 何が寂しいって、この町に住んでいることです。
母の様子、一人で走り回っている私につて、その後の経過について
メールの一本、いや できればブログのコメントでcommunicateしてもよかんべよー???
み~~~~~んな 知ってんだから
すべき立場なのかは わたし知らないし 古笛 恵子さんの本で調べる時間無いし
なにせ優先順位の下位だった皿洗いが、一番目になってんのね
いつ洗ったか覚えてないのは ばばのポケチッターノが感染したためか~い?
さて、キュキュットしなくっちゃ !
私 サミシイ~ノ [入院]
私 サミシイ~ノ 寂しいんです
母のいなくなった家に ひ と り だからではありません
今日のうちに理由をUPします。
“ 寂しいから早くこうよ ”と甘えるばばに会いに SMCへ行く時間だ。
今朝は雨、安全運転で!
今日も良い一日になりそうだ 感謝
マジ、死ぬかと思った。 [入院]
なっ なんで そんなとこに止まってんあだ~~~~
母の夕食を共にいただき(腹へちゃって、ちと毒見をしてしまった。美味いんだなSMCのまんまは。)
いつもは、町中のスーパーで惣菜を買って、二つ橋を渡って帰るのだが、今夜は合流のある橋に近いお店 Sふとん店で、母のためにパジャマを買い、合流のある橋を使った。
先日、合流妨害にあった橋の反対側で、ここは急な坂道を上がるとすぐに合流点になり、合流車線も長くはありません。
ブァオ~ンとアクセルをふかし 坂を上るとすぐに合流地点になる。
右バックミラーを見ると、後方に2台の車アリ、その間に入れるなと数秒の間に確認。苦手な合流にも慣れてきた。
で~~~~ なんで なんで そんなとこに停車してんだぁ~
合流車線の真ん中よりちと先に、乗用車が停車してんです 危ない~ 死ぬ~ yabai まだ逝きたくない,ばばより先には
右車線の二台の車は60キロは出ている。その間に入るのに90%以上集中している私の、まっ まん前になんで車が止まってんの~~~
0コンマ数秒の判断で、なんとか1台目の車の後方に入れた。その時の車間は数メートルだったと思う。
心臓 バク バクでした
できる限り、今後 合流はやめよう と決めた
帰宅後も興奮止まないわたしの心臓を さらに爆 爆 させてくれたのは
北の大地の。スノー ボーダー のオープンブログでした。
ヨウコさん 次にウエディングドレスを着るのは・・・・・Who will be?
2007 Aug の母です。親にこんなことやらせるか~
信頼 [入院]
今朝、病院から帰った後、施設の担当の方がみえ以前口頭では聞いていた、謝罪、事故の概要、再発防止の取り組み、損害賠償に関する件などの文書を受け取りました。
母の状態が快方に向かうように、こちらの件も良い方向に歩き始めました。
さて、二人部屋で一人になった母。昨日の壊れた蓄音機は「ありがと、ありがと」だったそうです。
私がいない時の母の事を知らせてくれたピンクサファイアさんは、すでに病室で休まれているだろうか。
病院から久しぶりに出て、外の吸気を吸ったときの彼女はいい顔していたな。
次はどなたと相部屋になるのだろうか?
母 ヒーリングば~ちゃんです [入院]
18日(日)の朝食前
ちと、ポケチッターナな写りですが、病院スタッフ、隣のお姉さんのおかげで、どんどん良くなっています。
右目の黒い部分は、生まれつき、私は関与していません。
お人形さんは木島知草さんに頂いた物。ずっと母を見守ってくれています。母の遊び相手、ナースさんの癒しのグッズ、縁をつなげる役目、動けなく、しゃべれないけど、働き者です。
2人部屋の窓際にいます。ちと狭いです。母を看るスタッフさんは工夫と忍耐を学ぶことができます。皆さんグッジョしてます。
〈グッジョてわかる 北の大地のオープンブロガーさん 〉
おまんまの時間です。
「イヤー、どうもすいません。」と林家三平さんのマネではありません。 カユカッタ~ノ
〈 爆とれたかな~ 〉
右から、だ、だ~い好きなミニトマト。お粥には84歳のお洒落で超元気なご婦人が栽培、収穫した胡麻です。
胡麻作りは、とても手のかかる作業なんです。
とろみのついた汁、玉子ときざみ野菜。前日の残りのヨーグルトは私の朝食になりました。
チュー???と書いてあるペットボトルは、吸い飲み代わりに使っています。キャップにストローを通しただけですが、吸い飲みより飲みやすく安全。私の工夫です。
「チューチューボトル」と名をつけました。商標登録してませんが、名前を使う際は私に知らせてください。 使わねっか!
ストローを吸う時の力も、そのときの母の体調を看る材料になります。
母の横にあるのはアルバムです。15年前、ある病気をテーマにしたイベントに参加したときのものです。
医療に携わる者、製薬会社、それを管理監督する行政に従事する人が、やるべきことをやらなかった結果起きたことです。
その病と共に生きている人、亡くなった人とその家族は、人々の無知からくる偏見と差別と戦わなければならなかった。守られるべき人であるのに。
ここSMCはその拠点病院です。私の経験が役立つでしょう。
この頃SMCに行くのが楽しい 癒ラしではありませんよ ヨウコさん
さて、時間です 準備して出かけよう
今朝は今月に入ってから一番体調が良い、良く寝れた
今日もいい事ありそうだ
すべてに感謝 病院への途中にある看板の文字です
遺書 【明日への希望】 [入院]
母の入院している病院は、とても良い病院です。
退院後の施設探しは大変どころか、面白くなってきました。
今回の母の入院後、山のようなブログネタを得ました。しかし、今はUPする優先順位が低いのでそのうち書きます。
問題は、昨日の交流妨害のように私の身にいつ何が起きるか分らないということです。たとえば...
1、自宅が火事になる。
2、事故にあう。交通事故だけとは限りません。
3、身体の問題。脳梗塞、クモ膜下出血、心筋梗塞などの発作は病気というよりは事故のようなもので、元気だった人が突然倒れることもあるのです。
そこで万が一、私に何か起きたときのことを考え、私の遺書を書き残すべきかなと思ったりしていたのです。
遺書と言っても土地や家、金銭の相続をどうするかという内容ではありません。
田舎なので土地は安いし、家の中はがらくただらけで、整理、処分するのが大変。金銭面で残っているのは住宅ローンと同程度の貯金というありさま。
遺書というよりは私の希望です。
二つあります。母に関する事と、5年前の事です。
母はまだまだ良くなりたいと言っているし、私もそう望んでいます。
母の退院後は、生活面を中心にしながらリハビリができる老健に入る。最後の時には、看取りをしてくれる特養に居て、家族やみんなに看取られ、長い人生の旅を安らかに終える。これが一つ目の希望。可能性を広げるため、もう一つの老健と特養に申し込みます。
一つ目の希望は、私に何かあっても親族が引き継いでくれるでしょう。
昨日は最初に入所申し込みをした老健の方が、母の状態を確認に来られた。という事は、母が施設にとって受け入れ可能なら、入所待機者の上位に来るという意味かもしれない。
この施設は私の判断基準では合格です。自動車免許の学課試験に例えると、90点以上です。
私の基準は次の項目です。
距離:母の子供、親族、近所の人が住むこの町から車で5分で行けます。私鉄駅に近く、母の兄弟はこの私鉄の沿線に住んでいるので、母の認知度が進む前に会うことが出来ます。
施設外の環境:緑地が多いので雑草が目立つが、これはしょうがない。母が入所したらいつも車に草刈鎌を置いて、母を訪ねたときはボランティアで草取りをしたいと思っている。
施設内の環境:清潔、きれいで問題なし。中庭には亀さんがいた縁起がいい。
スタッフ(相談員、他の職員):自分の仕事をしつつも、訪問者の私に挨拶をしてくれた。視線が広いということです。動きがきびきびしている。庭の亀さんを入居者と一緒に見ていた女性スタッフの声や態度から優しさを感じた。
亀さんなんて縁起いいな。そういえば、母の隣の患者さんも亀Oさんで、病院長も亀□さんです。亀に縁があるみたいです。
気:これは説明が難しいのでのちほど。
それと、もう一つの希望も後ほど。
これは全国組織の病院施設を運営する団体に、3年後新しく生まれる病院に関わる事なので、そう簡単にはいかない。慎重で冷静な行動が必要だ。
今日は初めて母のリハビリを見学できた。やはりその道のプロは違う。母の担当でPTSさんを指導する立場にあるI先生、汗をかきながら母を看てくれたPTSさん、。今日は本当に勉強になりました。
今後とも母のリハビリお願いします。母が重くてすみません。
今、NHKで介護関連の番組をしてる。見たいので今日は終わり。
明日は何が起きるか楽しみだ。
この感覚は、1984年。私の自分探しの旅の終わりの地、インド・ネパールで感じたものと同じです。
つくずく、みんなつながってつながっているんだな~ と思っています。
感謝、Thanksです。
母の退院準備、えっ、も~! [入院]
病院の性質上、患者が回復したら他の病院又は老健などの施設へ移り、治療やリハビリテーションを継続するシステムになっている。
相談員のYさんと話し合った結果、病院でのリハビリではなく、リハビリが出来る老健か特養を探すことになった。介護保険法にのっとって運営されている老人施設です。
老健と特養の違い分りますか?私も知りませんでした。
岬~めぐりは~♪ ♪ ♪ でなく、施設~めぐりを~♪ ♪ ♪ しています。若い方は知らない歌です。
勉強になります。
すでに、老健3ヶ所、特養1ヶ所を訪れました。三つの施設には入所申し込みを済ませました。
今日は最初に申し込んだ施設の方が、母の状態を確認にこられるそうです。母を入所待機者にするかの判定材料になるのでしょう。
この施設は母を預けても良いと、私の審査に通った施設です。私の審査基準はいずれ書きます。
大切な母の住む所です。あずかってくれるなら、どこでも良いわけではありません。
さて、母は午後リハビリ室で機能回復の運動をし、その後ナースステーションの中で、車椅子に2時間ほど座っていたそうです。これも機能回復の一つです。そして、ナースさんの報告では、昼食を自分で食べたと言うことです。
「えー、出来るんですか」の問いに、「はい、甘えてるんですよ。」とナースさん。
母が良くり退院して施設で暮す日が思ったより近くなりそうです。
そこでまた問題が出てきました。一ヶ月の入居費用が15万~18万掛かるのです。
Who is going to pay?