世界遺産の旅 フィリピン・ライステラス(棚田群)
衆議院の選挙のあった日の夕方、TBSの世界遺産を見た。内容はフィリピンのライステラスについて。
ウィキペディアに載っている写真です。
バスでマニラから北へ、避暑地で有名なバギオを経由して、着いたのはバナウェという町。山道をおんぼろバスに乗り、そのうえ悪路で谷に落ちるんじゃないかと、怖いおもいをしたことを思い出しながら見た。とても懐かしかった。
この町でよく覚えていることがあります。バナウェの町長(村長かも?)の家に招待されたことです。
宿泊していたホテルの1階で食事をしていると現地の男が声をかけてきました。
「Are you ヤクザ?」 「No,No] この頃、ほとんど英語ダメでした。
よくわからないが、どうも自分について来いと言っているようで、着いていきました。(怖いもの知らずでした。)着いた家には老人が数名いて、一人は彼の父で、息子が「メイヤー、メイヤー」と言います。彼の父はMayor(町長)だったのです。
バギオからこの周辺は旧日本軍が逃げ込んだ地帯で、バスの中でも「むかし、ここで日本とフィリピン、戦った。でも今はFriend!」などと言われたことがあります。
一人の老人は、自分の名前をカタカナで書いて見せてくれました。町長の娘さんは足踏み行進の格好をしながら、日本のうたを歌ってくれました。軍歌かどうかは忘れてしまいましたが。
ここフィリピン・コルディリェーラの棚田群(-たなだぐん)は現在、世界危機遺産になっているそうです。若者達が都会に行ってしまい、棚田の修復や、水を蓄える森の管理が出来ず、あちこちで棚田が崩れてしまっているとのことでした。
農家の後継者不足は国が違っても同じようです。
この後マニラに戻ったら、バンコックで知り合った日本人男性とYMCAで偶然再会し、フィリピンを超良く知っている彼と約一ヶ月間、バスと船で島から島へ、町から町への旅をすることになったのでした。
このフィリピンの旅が15年後に、マニラの子供の里親になるきっかけになりました。そして、再びマニラを訪れることになったのです。この時は、一人でなく盛岡の里親の方達と共に。
いつか旅のことや、盛岡-マニラ育英会の里親の人達と過ごしたマニラ3日間の事なども書いていこうと思っています。
その前に母が入院して“あの三日目”の事、私にとっては85年に帰国してから一番忘れることの出来ない日のことを書かなければと思っているのですが。なかなか、その気になりません。トラウマなのかな!
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