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母の事故報告書-1 [事故報告書]

※ 母が転倒した特養を非難、誹謗するため書いているのではありません。起きた事をしっかっり検証し、明日に役立てたいと思っています。老健のスッタフさんも読んでくれています。

「ブログ読んでください。」と何度も特養の方には言ったのですが。私のメッセージの意味もあったのです。感情的になり、文章が汚くならないよう注意はしていますが、そうでない時は御勘弁を。人間ですので。[雪]

 

介護保険のもと、母のトイレ内での転倒事故について、特養が町に提出した事故報告書のなかの【事業者としての再発防止への取り組み】には、2行しか書いてありません。

「久しぶりのご利用でご家族より、本人の最近の状態についての説明を受けていたが、トイレ時などに職員が付きっ切りは難しいために、こまめな巡回と声掛けを行う。」

これで全部です。 

たった 13文字の再発防止案とは。 俳句の方が、まだ文字数がある。

下線の部分がすべてを語っています。「トイレの時、利用者のそばに付いて居られない。母が勝手に立って、転んだ。」と理解できますが?

これが施設の事故に対する考えです。施設に非は無いと考えているのですから、 再発防止案なんて、書く理由はないのです。

次の項目の【損害賠償等の状況】の欄にはこうあります。

特になし。

被害者の立場の、私の報告書には、老人を世話する施設が、どれだけの事が出来たかが、しなければならなかったが、書いてあります。

明日以降できる範囲で公開します。

24日の夜勤のスタッフさん(可愛いんだな!)に、「絶対ありえない事が【事故の概要】に書いてあるから、見つけて。」と言って報告書を渡した。

今朝の彼女の一言「誤字が多いですね。でも、あの大怪我で、こんな報告書でいいんですか?」

夜勤で疲れていたのだろう。ありえない事には気付きませんでした。スタッフさん、いつも母を見守ってくれて、ありがとう。 安心して大切な母を、お任せしています。


記事を書くのがやっとで、追加の施設のクリスマスムード一杯の画像をUPできません。

消すのがもったいないので、下の記事は保存します。長いので、時間があったら見てください。


 母は5人の子を産んだ。二人の男の子は小さいとき、この世を去った。二人の兄に会うことはなかった。

母が36歳だったこの日、女性として最後の産みの苦しみを体験した日です。出産とは痛み苦しみだけではなく、命、母の生命をかけて、子を産むことなのです。男にはわかりがたいですが。体験できないので。

Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.

アメージング グレース
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる

'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved,
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.

神の恵みこそが 私の恐れる心を諭し
その恐れから私の心を解き放つ
信じる事を始めたその時の
神の恵みのなんと尊いことか

Through many dangers, toils and snares
I have already come.
'Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

これまで数多くの危機や苦しみ誘惑があったが
私を救い導きたもうたのは
他でもない神の恵みであった

e Lord has promised good to me,
His Word my hope secures;
He will my shield and portion be
As long as life endures.

主は私に約束された
主の御言葉は私の望みとなり
主は私の盾となり 私の一部となった
命の続く限り

Yes,when this heart and flesh shall fail,
And mortal life shall cease,
I shall possess within the vail,
A life of joy and peace.

そうだ この心と体が朽ち果て
そして限りある命が止むとき
私はベールに包まれ
喜びと安らぎの命を手に入れるのだ

The earth shall soon dissolve like snow,
The sun forbear to shine;
But God, Who called me here below,
Will be forever mine.

やがて大地が雪のように解け
太陽が輝くのをやめても
私を召された主は
永遠に私のものだ

When we've been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise
Than when we'd first begun.

何万年経とうとも
太陽のように光り輝き
最初に歌い始めたとき以上に
神の恵みを歌い讃え続けることだろう

 

私と母にとっては、特別なこの日。この曲と決めていた、「人は変わることができる。」

この詩を書いたのは、奴隷商人 ジョンニュートン。

詳しくはこちら 

1984年の今頃、ネパールのポカラというところにいました。1980年「なぜ私は、生まれてきたのか?私の人生の意味はなんだろう!」

そんな思いを、胸の中に 、放浪の旅に出ました。約30の国を旅して、帰国の途中二度目のネパール入国をし。このときを迎えました。

ああこれを知るために、旅に出たんだ。私の人生の意味を心の奥底から感じた日でした。

人生は学び! すべてはひとつ!  すべてに感謝! 

そのようなことです。この世に生を受け、両親に育てもらい今、こうして生きていることが奇跡なんだ。

生まれて、生きていることが 奇跡なんです。あたりまえではないと、感じ、両親への深い感謝の思いが、胸の中に、湧き上がってきました。

心の中が光り輝いた時でした。

天国にいる、じっちゃん。老健で暮す、ば~ちゃん。

私は、あなたたちの子に生まれ、幸せです。

その母が住む、老健けやきの舎は、あちら こちらクリスマス一色です。

DSCF1483.JPG DSCF1480.JPG DSCF1479.JPG

窓も壁もクリスマス。ここは母の住む認知症ユニット。

22日ある人が、母を見舞いに来ました。Who is she?

 母が転倒した施設の、施設長です。母がここに入所したのは、11月11日です。初めての来訪です。

DSCF1471.JPG 窓.JPG

21日町の福祉課課長が施設長に会い、?の会談がありました。

その日、副施設長から「施設長と共に我が家に来て、話したいことがある。」と電話がありました。

DSCF1466.JPG入口には綺麗な花も。

DSCF1477.JPG見上げています母は何思う。

“話すことは何もありません。言いたい事があったら、すべては文書で下さい。言葉は残りませんから。どうでもいいですが、一度は老健に居る母を見舞うのが、世間一般の常識と思いますが。それに、ここにくれば、勉強になりますよ。”と言って、電話を切った。付き合っていられないこの方達とは。時間がもったいない。

 

DSCF1470.JPG

今日の主役は この方です。 私を産んで、育ててくれてありがとう。

ば~ちゃん また来年も、ここでポーズとれるよう、一緒に頑張ろうね。

                      ありがとう

                    感謝しています 母

 やっぱりこの時期は、この曲だ。

なんか、JR東海の宣伝になってしまったみたい。まッ いいか こんだけ美人のドラマが見れて。

同じ曲で、同じ会社の、違う映像の曲はギネスものです。

感謝。メリークリスマス 仏教徒の皆様。

母の口癖「な ナ 何でもいい。」

Let   it    be

あるがまんまが人生だ

メリークリスマス

 


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たかこ

クリスマスなんてって思っていたのですが
趣味人に入って
また俳句を作り始めましたので
季節感は大切にと言う事で
なんとなくクリスマスを楽しんでいます。

ツリー綺麗ですね。
by たかこ (2009-12-24 21:18) 

a-silk

たかこさん。コメントありがとうございました。私の読んでいるブログの「六号通りの・・・」の石原先生の記事は、とても、勉強になります。
ご訪問下さい。
良い施設に住む母は、日に日に元気になっています。
お身体大切に。メリークリスマス
by a-silk (2009-12-24 21:54) 

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